こんにちは、あもん です。
巷では「現代人が1日に受け取る情報量は、平安時代の一生分」とも言われるくらい、今の時代は情報量が異常に増えています。
テクノロジーの進化で物質的にも豊かになっていますよね。
こう聞かれたときに、一点の曇りもなく「現代人は幸せです!」と言える人がどれくらいいるでしょうか?
恐らく、あんまりいないんじゃないかなと思います。特に日本は、世界幸福度ランキングにおいて先進国の中で最下位ですから。
だからこそ週刊文春やガーシーchのような、人を不幸に貶める復讐劇があれだけ好まれるんですよね。幸せな世界であれば、あんなものは絶対に流行りません。
なぜ情報的にも物質的にも恵まれているはずなのに、幸せだと断言できる人が少ないのか。不思議じゃないですか?
不幸な人は外ばかり見ている
物質的な豊かさは『 外への渇望 』を生み出します。
外側を埋めよう、外側を整えよう、外側を満たそう。そうやって外に外に、少しずつ現代人の目は向けられていきました。
そうなると外側(お金、評価など)は満たされ始めるんですが、代わりに内側(自分の心)への関心が薄れていってしまいます。
外側を満たすことに躍起になって忙しくなって。「心が亡くなる」と書いて「忙」ですよね。外側を満たそうとする現代人の生き方は、その代償として どんどん心を犠牲にしているんです。
「SNSでどう見られるか?」というのも、結局のところは「外のための外」です。他人から見られるための見え方なので、自分の心はどんどん蔑ろにされてしまいます。
外側が満たされても、内側が満たされていなければ意味がありません。むしろマイナスにしか作用しないんですよ。
例えるならば、宝くじで大金が当たったけど数年後に破産する人や、高レベル用の防具を買っても使いこなせずに倒されるキャラクター、みたいな感じですね。
これからは【 心の時代 】です。
(本当はいつの時代もなんですが、外が豊かになっていくからこそしっかりと意識的に見なければいけない、という意味合いで)
外にある物の存在意義を忘れるな
そもそもなんですが、外側にあるものは『 内側を満たすため 』に存在しているはずですよね。
お金が増えれば欲しいものが買えて嬉しい。
好きな車に乗れたら気分が上がって嬉しい。
好きな服を着れたら気分が上がって嬉しい。
こうやって『 嬉しい 』という心の満足に繋がるためにあるはずなんですよ。
しかし、多くの現代人がその大事な『 内側を満たすための外のもの 』ということを忘れてしまい、ただひたすらに外側を満たそうとしています。
その結果、外側を満たせば満たすほど、内側の心の渇きに気づきます。
現代人は心も身体も栄養失調状態です。
みんな病気の状態なんですよ。まずはそこを自覚しなければいけません。
内側が潤せずに渇いていってしまう、その結果が精神病の増加や自殺につながっています。
そして、多くの人が 自分の心の満たし方を知りません。
だから自分のご機嫌を自分でコントロールできず、フキハラという言葉が生まれるんですよね。
もちろん自分で自分のご機嫌を取るのも大切なんですが、これは忘れないでください。
心の渇きを本当の意味で潤してくれるのは〝 他人 〟です。
自己満足にはどこかで必ず限界がきます。イメージしてみてほしいんですが、
これってめちゃくちゃ寂しくないですか?心にポッカリ穴が空いている感じしませんか?
【 他者満足こそが本当の心の潤い 】なんですよ。特に現代のような、他者との関係が薄くて心が渇いてしまっている時代こそ。
ウチの母は父の転勤で長男と次男を連れてイギリスに移住し、向こうで僕と妹を産みました。
4,5年イギリスに住んでから帰国したのですが、イギリスに行ったときは日本にホームシックにはならなかったのに、帰国してからイギリスにホームシックになったそうです。
その要因は「 イギリスと日本の周りとの関係性の違い 」だったそうで。
イギリスでは周りの人に助けられたけど、日本では関係が希薄で助け合いにくかった。だからイギリスに帰りたかった、と言っていました。
これも心の渇きの問題ですよね。
今の時代で心を潤す最適な方法
みんながどんどん外ばかりを見てしまう。そんな心が渇く時代だからこそ、他者とのつながりが大事になっていきます。
物質的な豊かさや情報的な豊かさは、『 心の豊かさ 』がなければ上手に扱えません。
どれだけ素晴らしい商品でも、ヤバイ奴が使ったら台無しなんですよ。なのに、現代の人たちは心の豊かさを放置して外側の豊かさばかりを求めてしまっています。
まずは心が潤うことが必要であり、心を潤わせてくれるのは自分ではなく他者の影響が大きいです。
そして、今の時代で互いに潤し合う良い関係がなにかといえば、
【コミュニティ】
なんですよね。コミュニティこそが現代人の心を潤わせてくれるんです。
「 Community 」
語源はcommunisと言われています。
Kom-moy-ni
→kom(全体で)+ mey(交換する)
「お互いに与え合う」というのがコミュニティの語源だとされています。
【 双方向性 】というのがコミュニティの核なんです。
よく見かけるオンラインサロンのほとんどは一方向性であり、運営者が参加者に向けて情報を流すだけです。これは双方向性ではないので、与え合う関係性はありません。
お互いに与え、与えられる。それがコミュニティというものです。受け取るだけでも与えるだけでもないんです。
お互いに与え合うからこそ、お互いがもっと相手に与えよう!と思えるんですよね。言い換えれば「 お互いを潤し合う 」ということです。
しかし、現代人の多くがもらおうとするだけで自ら与えようとはしません。なんなら人から奪おうとすらしていますよね。だからどんどん心が渇くんです。
与え合えるメンバーと環境の中で、受け通りながら自らも人に与えていくこと。
それが、コミュニティの上手な活用方法です。
だからこそ、これからの時代で大切なのは良いコミュニティに出会うこと、そしてもっと言えば、自分が良い人間になることです。
類は友を呼びますから。
みなさんも1人で頑張ろうとするのではなく、頑張り合える仲間を見つけることにもしっかりと意識を向けながら、人と深く関わっていってください。
「そんなコミュニティは私の周りにはありません…。」
安心してください。良いメンバーがいる良いコミュニティを僕が運営しています。






