こんにちは、あもん です。
みなさん、『 生きる 』ってなんでしょうか?
もちろん生物学的に言えば「生命があり活動できる状態にある」となります。なので、定義で言えば死んでいない人はみな生きてます。
しかし、僕は『 生きる 』というのを「 己の生を全うする 」という意味で捉えています。
言い換えれば、
『 自分の命を使い切ること 』
これが僕の中の「生きる」という意味です。そしてその意味で捉えたとき、世の中を見渡して思うことが
【 死んだように生きている人が多すぎる 】
ということです。
自分の命がなんのためにあるのか、何ができているのか、そのために何をすべきなのかを理解せず、思考停止しながら日々を消化している人が多すぎるんです。
これが僕の言う「死んだように生きる」です。僕の体感では、恐らく現代の過半数以上の人が死んだように生きていると思います。
テクノロジーの進化の代償
ほとんどの人が死んだように生きている理由は、テクノロジーの進化にあります。
テクノロジーの役目は『 いかに楽になれるか 』です。
楽になるということは、「○○しなくていい」を増やす、ということ。
〇〇するというのは、主体的に行動を起こすことですよね。
・動かなくていい
・考えなくていい
・頑張らなくていい
・無理しなくていい
などなど、これらを増やすためにあるのがテクノロジーというものです。テクノロジーの進化は思考の退化を進めるんですよね。
50年前と比べて、テクノロジーは目まぐるしく進化してきました。今でも5年前には考えられなかったことが目の前で起きていたりしますよね。
そうやってテクノロジーの恩恵を受けてきた現代人ですが、恩恵の裏には当然代償がつきものです。
テクノロジーの進化の代償というのが
【 死に体 】
です。英語ではレームダック(lame duck=足の不自由なアヒル)と言われていて、「すでに生きている意義をもたないもの」という意味です。
大した希望もなく、大したモチベーションもなく、大した信念もなく、ただ日々を消化するかのように生きること。これを僕は「死に体」と呼んでいます。実際に、自分の人生にそう感じている人もいるのではないでしょうか?
テクノロジーの代償としてが死に体になることであり、そのテクノロジーがこれだけ進化してしまっているんですから、令和の時代に死に体が増えるのは当たり前のことなんですよね。
だから、現状はしょうがないっちゃしょうがないんです。
本人がそれでいいのであればなんら問題ないんですが、僕はそれを良しとは思いません。
この世界に生まれたのであれば、できる限り命を感じたい、全うしたい。「生きててよかった」と言える瞬間を増やしたいと思っています。
正解などありません、人それぞれでいいんです。ただ僕の価値観で言わせてもらえれば、「死に体で生きるのはマジでもったいないし、自分なら有り得ない。」と思っているだけです。
でも、これがまた難しいんですよね。
というのも、テクノロジーによって楽に慣れてしまうと「楽じゃないとダメ」という感覚になってしまうんですよ。無自覚のうちに、どんどん楽に依存してしまうんです。
無意識に、「楽かどうか」を基準に選んでしまっているんですよ。
全力で生きようとすると、それはそれは疲れます。自分から積極的に考えて動かないといけないですし、それによって関わる人が増え、役割が増え、トラブルも増えますから。
まさに、「難が有る、有難い人生」になります。逆に死に体は「難が無い、無難な人生」ですね。
難が無い人生は、楽だけど面白みがない。
難が有る人生は、しんどいけど面白い。
あなたはどちらを選びますか?という話です。
この質問に答えられますか?
この質問に答えられないと、死に体になってしまっている可能性が高いです。
生き体か死に体かを根本的に分けるものは「主体的に課題を設定して、それをクリアするために行動を起こしているかどうか」です。
受け身の人生ではなく、自分なりに課題を持って生きているか。ただそれだけです。
死んだように生きるのではなく、自分の命をしっかり使って生きた上で満足に死ぬこと。これが僕が自分に課している大前提であり、僕も近しい人にいつも伝えていることです。
ただ!
この考えに共感してくれる人は、これだけは理解しておいてください。
どれだけ言っても世の中の過半数は死に体で生きるので、生き体の方がマイノリティで異常です。
それが正しいどうかではないんです。現状のこの世界ではマイノリティである、という事実がそこにあるんです。そこを理解しないと、価値観が違う人やこの世界に憤りを感じてしまいます。
ここはしっかりと抑えておいてください。でないと勝手にイライラして勝手にエネルギーが漏れてしまいます。
僕は死に体で生きる人に対して「アホやなあ」とは思いますが、それがこの世界の普通であり僕の方が異常なので、何も思いません。
それでいいんです。
生き体の中でも当然レベル(意識や実力の差)はありますから、自分よりも高いレベルにいる人たちの背中を見て必死に追いかける。見るのは周りではなく前です。
人間、どうせ100年後にはみんな死んでいます。
後はそれぞれが「どう死ぬか」でしかなくて、そこで「どうせ死ぬから適当でいいや」となるのか、「どうせ死ぬなら満足して死のう」となるのか。そこの選択が生き体と死に体を分ける差になるのでしょう。
世の中に対してウダウダ言ってる暇があるなら、ガンガン考えてガンガン動いて自分で良くしていった方がいいですよ。

