出来事は重要じゃない

こんにちは、あもん です。

ここ3日間は4:30くらいに起きているんですが、5:00に奥さんが起きてきたので「おっ、トイレかな?」と思ったら…

「雨漏れした。」

と報告を受けました笑

寝室に行ってみると、まあ中々の雨漏れ。ベッドの真上なので奥さんは直撃だったそうです笑

雨漏れを見たときに僕が真っ先に思ったことが2つあります。

①まあバリ島だしな、あるあるでしょ。
②おっしゃ、Threadsでネタにするか。

実はこの反応に、生きていく上でめちゃくちゃ大切な情報が含まれています。

一言で言うと、「人生を決めるのは出来事ではなく解釈である。」ということです。

事実と解釈の違い

多くの人が「何が起きたか?」という出来事ベースで自分の人生を見ています。受験に失敗した、就活に失敗した、恋人にフラれた、詐欺に遭った。こういう出来事を見て「私はツイてない」「私は不幸だ」と嘆くんですよね。

人生を出来事で見てしまう原因は、事実と解釈をちゃんと分けられていないからです。

たとえば、雨漏れって普通はネガティブに受け取る出来事ですよね。でも今回の雨漏れで僕はネガティブな印象はまったくありません。バリ島ではよく聞くことが起こっただけですし、なんならネタが出来てラッキー!くらいの感覚です。

「おっ、面白いことが起こったぞ?」

このテンションで見ているので悲しくならないんですよね。

事実「実際に起こった事柄、実際に存在している事柄」
解釈「事実に対する受け手側なりの考えや理解」

事実は事実でしかなく、それ以上でもそれ以下でもありません。雨漏りは雨漏り。事実にはネガティブもポジティブも存在しないんです。

不倫だろうが
万引きだろうが
遅刻だろうが
殺人だろうが
戦争だろうが

それはそれでしかありません。不倫は不倫、遅刻は遅刻、戦争は戦争、以上。

事実の出来事が起こった後で「その事実を自分がどう解釈したのか?」によって意味が決まり、その意味によってネガティブ、ボジティブの感情が引き起こされ、その感情によって思考と行動がつくられます。

たとえば「殺人」ですが、無差別殺人は「最悪なこと」であり、死刑は「適切な処罰」であり、戦争においては「英雄行為」になります。同じ殺人であっても意味が変われば受け取り方は変わります。

遅刻だって、「夜更かししてゲームをしていたら寝坊して遅れた」のか、「出勤中に救命活動に参加して遅れた」のかで遅刻の意味が大きく変わりますよね。もしもその救命活動がテレビで報道され、会社に「あなたのとこの社員は素晴らしい!」なんて電話が来たらどうでしょう?会社側としては「むしろ君の遅刻のおかげだよ!」という評価にもなり得ませんか?

こういう例のように、出来事1つとっても背景が変われば解釈も変わり、解釈が変われば善も悪も変わります。

しかし、先述したように多くの人が「何が起きたか?」で判断してしまうので、これらの出来事はそのものを「ネガティブな出来事」として認識しています。事実に解釈がくっついてしまっているんです。

なので「不倫は悪!」「遅刻は悪!」と断罪し、その背景を聞こうともしないんです。

出来事は重要じゃない

今回の雨漏れの件ですが、「最悪だ…」と捉えた場合と「ネタにできるぞ」と捉えた場合の2パターンを考えてみます。

①「最悪だ…」と捉えた場合
オーナーにクレームを入れ、対応に追われることに腹が立ち、午前中が潰れたことにも腹が立ち、ランドリーに出すものが増えたことにも腹が立ち、濡れたベッドを乾かす作業にも腹が立ち、詰まらせた原因(おそらく隣の工事スタッフのペットボトル)にも腹が立ち、とばっちりでワガママを言ってくる息子にも腹が立つ。

②「ネタにできるぞ」と捉えた場合
インスタライブを見ていたのですぐにコメントでウケを狙い、オーナーさんに連絡を入れ、動画を回してThreadsにつぶやき、同じ動画でインスタで学びにして発信し、ブログで記事を書き、「いい経験をありがとう」と、工事スタッフに感謝をつぶやき、改めて1日の過ごし方を修正して過ごす。

起きている感情も行動も全然違いますよね。前者はとにかくすべてに腹が立ち、後者はウケや学びに繋げている。

起きた出来事は同じでも、それをどう解釈するかでこれほど感情も行動も変わるんです。

普通であれば雨漏れはネガティブな出来事ですが、いいように捉えてしまえばネガティブな出来事ではなくなるどころか、むしろポジティブな出来事に変わります。

・楽しい
・幸せ
・面白い
・ありがたい
・鍛えられる

どう捉えるかで感情と行動が変わるということは、自分の解釈の仕方が今の自分、未来の自分に大きく影響を与える、ということでもあります。

人生が上手くいく人の特徴は、起きた出来事に対して「次に生かすための解釈」をするんですよ。

「これのおかげでこんなことが学べた」「これのおかげで次こんなことができる」

そういう解釈をするからこそ失敗をチャンスだと捉えられるし、いちいち凹まずにチャレンジし続けられるし、その解釈に魅力を感じた人がどんどん集まってくれるんです。

感情も思考も行動も、すべて「どう解釈したか?」によって決まります。

つまり、解釈を自由にコントロールできるようになれば物事が上手くいきやすくなる、ということです。

そして、解釈のコントロールは才能ではなく、後天的に育っていくものです。育った環境、学んだこと、体験した出来事、それらが自分のフィルターをつくり、そのフィルターによって解釈が決まります。

ということは、ネガティブな解釈を捨ててポジティブな解釈を増やしていけば、自然と人生がいい方向に進んでいってくれるんです。

人生は起きた出来事では決まりません。出来事に対して生まれた解釈によって決まります。

なんでもマイナスに捉えるのではなく、「楽しい」「面白い」「おかげで」といった次に活かせる解釈をまずは意識的に取り入れて、無意識に出てくるようになるまで忘れずに心がけてみてください。

新たな解釈でこの世界を見てみると、今まで見てきた世界とは大きく変わりますよ。

だって、あなたの世界はあなたの解釈が作っているんですから。

 ブログの執筆者

藤﨑勇祐(あもん)

「人を変えること」を生業にSNSで情報発信をしたり、コミュニティを運営して、理想の自分になれるお手伝いをしています。

インドネシア🇮🇩のバリ島に家族と一緒に住んでいます。

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